良い学生が来ないのは学校の責任
厳しい事を最初に書かせて頂きますが、教員の皆様がイメージする良い学生が来ないのは学生の責任ではなくほぼ全て学校の責任です。
学生の立場から考えてみましょう。貴方が有能な学生だと仮定しましょう。どういう学校に行くでしょうか?いろいろな指標はあると思いますが、将来性がある、ネームバリューがある、自分の将来の夢を実現できそうな所など、少なくとも自分にとって「価値のある学校」を探すはずです。
そういう学生はやる気もあり、入学後に学校の価値をさらに高めてくれるかもしれません。
もし、貴校に優秀な学生がいないという事であれば、そもそも貴校はそれらの学生が求めるものを提供していない、あるいは提供していても見えないという可能性があるわけです。見えないもの、あるいはそこにはないという場合には学生から進学先として選ばれないのは自明なのです。
実際の話、本当によくある話なのです
今回のテーマは実際には物凄くよくある話です。広報が頑張ってイベント参加者を集めても、教員からは文句が出るとかですね。
広報側からの意見の「一つ」として言わせて頂きますと、そういう良い学生が集まるような努力を教員側は本気でしているのでしょうか?という事になります。もちろん、やる気のある先生は中にはいるでしょう。しかし、全員が同じ志で本気で学校をよくしようと考えているでしょうか?経験上、そこまでのレベルに全教員がなっているケースというのは稀だと思っています。
学生からすれば良い学校であれば「行きたい」のです。イベントにも参加したいでしょう。しかし、イベントは役立ちそうになかったり、そもそも将来が全く見えなさそうなイベントだったり、その学校に通ってまで学びたいようなイベントでもないなど、魅力のないものを提供している事も多いわけです。
毎年焼き直しのようなイベントを同じモチベーションで続けている教員というのは多いはずです。考える事を残念ながら放棄してしまったような方です。
しかし、残念ながら間もなく到来する2018年問題を考えましても、いまだに「良い学生が来ない」という言葉しか出ないようでは、まさに学校存続の危機であると言えます。
本来は「良い学生が来ない」という発想ではなく、「良い学校にして興味をもってもらう」という発想にしないといけないのです。学校が良ければおのずと学生にも魅力があるように映ります。しかし、そうでなければ良い学生から選ばれるわけもないのです。
間もなく学校の存続が厳しく問われる時代になってきます。その時になって何とかしないといけない・・・ではもう遅すぎるのです。少しでもはやく教職員全体の意識改革をして、本当の意味で学生にとって求められる学校、そして誰もが目指したくなるような見本のような学校にするにはどうするべきかを真剣に考えなくてはいけません。
学校にとっての正念場は既に来ているという事を明確に自覚しなくてはいけません。
<文責:SEMアドバイザー亀田泰史>